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昨晩は疲れていたせいか、夜9時には就寝していた。 またも寝ても寝てもなかなか朝は来なかった。 6時30分起床。 7時朝食。 今日は4階にあるレストランでの朝食だ。 昨日より狭かった。 大きなテーブルは8ヶ所に設けてあったが、食材がおいてあるところは狭かった。 私たちは日本人旅行者で席を固めた。34人だったので3テーブルを占めた。 そこにまた中国人旅行者と一緒になった。 彼らは実に自己中心的である。 彼らもまたテーブルを占拠しているにもかかわらず、ティースプーンをとりに席を立つと食べ終えていないにもかかわらずそこに座ろうとする。 またナイフ、ホークが置いていないところでは他人のナイフ、ホークを使ってでも食事を取ろうとする。 またしてもいささか閉口した。 09:00バスホテル出発。《プーシキンヘ》(約27km) ロシアの交通事情は読めないようだ。 かなり余裕をもって設定されている。 すこし早く到着したので。 お土産やさんにトイレ休憩をかねて立ち寄った。 何も買うものは無かったが、マトリョーシカが安かったので1つ買った。 ツァールスコエ・セローは、サンクトペテルブルク中心区の南方24kmほどの位置にあるロシア皇帝の離宮、エカテリーナ宮殿などが集まる避暑地。 かつてはプーシキン市だったが、現在はサンクトペテルブルク市プーシキン区となっている。 #
by elfin05-2
| 2015-09-20 15:50
| 201509ロシア
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プーシキン10:45着《エカテリーナ宮殿観光》く約2時間〉 エカテリーナ宮殿とは、サンクトペテルブルク中心部から南東25kmの郊外の避暑地ツァールスコエ・セローに存在するロシア帝国時代のロココ建築の宮殿。 私たちが通過すると日本国歌を吹奏した。 中国人観光客が通過すると中国国歌を吹奏してチップを求めた。 宮殿の名前は、ピョートル大帝の后でもあった、第2代ロシア皇帝エカテリーナ1世(在位:1725年 - 1727年)に由来する。 エカテリーナがドイツの建築家Johann-Friedrich Braunsteinを雇って夏の避暑用の離宮として1717年に作らせたのが最初のもので、その後、第4代ロシア皇帝アンナ(在位:1730年 - 1740年)がロシア人建築家に命じ増築させた。 第6代ロシア皇帝となったエリザヴェータ(在位:1741年 - 1762年)は母のエカテリーナが建築させたものが時代遅れで不便であるとして抜本的に作り直すことを決定、壮麗・壮大なロココ調建築に入れ替えるよう、既に冬宮殿建設に関わっていた宮廷付き建築家バルトロメオ・ラストレッリに命じた。 建設は1752年5月から4年の歳月をついやし、1756年7月30日に全長325メートルの現行規模の宮殿が完成した。 とりわけ「琥珀の間」が有名である。 琥珀は、第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ軍に持ち去られたが、1979年から始まった復元作業により、2003年に完全に復元された。 1791年、日本人の漂流民大黒屋光太夫が帰国を願うため、エカテリーナ2世(在位:1762年 - 1796年)に謁見した場所としても知られる。 一般に夏の間過ごしたことから「夏の宮殿」とも呼ばれる。 #
by elfin05-2
| 2015-09-20 15:48
| 201509ロシア
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金ぴかの宮殿を見学した後、私たちは庭園を散策した。 皇帝のバスルーム、キャメロン・ギャラリー、大池。 グロットでロシア民謡を謡っていた。 庭園を馬車で回るコースもある。 ウエディングドレスを着た新郎新婦。 13:00 昼食の時間になりました。 昼食はボルシチです。 ボルシチは、テーブルビートとタマネギ、ニンジン、キャベツ、牛肉などの材料を炒めてから、スープでじっくり煮込んで作る。 但し、スープの中身は決まっているわけではない。 #
by elfin05-2
| 2015-09-20 15:45
| 201509ロシア
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13:45昼食後、《ペテルゴフー》(約35km) 14:15 ペテルゴフ着 《©ピヨートル大帝夏の宮殿の庭園観光》〈約1時間30分〉 ペテルゴフ宮殿(露)(ピョートル大帝の夏の宮殿)とその噴水庭園はロシアを代表する観光地のひとつである。 ピョートル1世の命により当時の先端技術を投入されて建設されたもので、ベルサイユ宮殿の影響が見られる。 ペテルゴフの「夏の宮殿」は、ロシア・サンクトペテルブルクから西に約30km離れたフィンランド湾南岸に位置する宮殿と庭園である。中心の大宮殿を境にして「上の庭園」と「下の公園」に配置された、全体で20の宮殿と7つの公園から構成されている。庭園を進むと趣向を凝らした噴水に次々と出会う。庭園内の噴水の数は150を超える。 ペテルゴフの建設は1714年、ロマノフ王朝第4代、ピョートル大帝から始まり、1723年に完成式典が行われた。建設地はそれまで小さな港以外に何もない場所だった。 ペテルゴフの噴水は15mほど高い宮殿の南側から、北の海側の低い庭園に下る水位差を利用している。噴水には大量の水が必要であることから、1920~21年、ペテルゴフ南方22kmにあるロプシャから水路や貯水池を経由して水を供給するシステムを造り上げた。 その水源は地下湖であるという。最終的に、19世紀半ばまでに水路は総延長56kmに及んだ。そのうち21kmはカナールで、貯水池の総面積は21ha、貯水量は13万m3、パイプの総延長は30km、水門は26箇所設けられている。24時間噴水を出し続けることも可能である。 歴代ロシア皇室により拡大・装飾され離宮として利用されていたペテルゴフだが、1917年のロシア革命の後は博物館群として公開されている。 #
by elfin05-2
| 2015-09-20 15:40
| 201509ロシア
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16:55 空港に向けて出発。(約29km) 大地と空のキャンパスを描く雲。 近代的なマンションが建設中。 空港近くのレストランで夕食。 空港に到着。 現地ガイドイリナとお別れだ。 やさしい物言いの穏やかな好感の持てるガイドさんだった。 《空路、モスクワヘ》 サンクトペテルブルグ発20:35 SU-0027 アエロフロート・ロシア航空 (所要時間約1時間15分) モスクワ着21:50着 バスにてホテルヘ。 10:45ホテル着。 都会風の落ち着いたホテルだった。 宿泊ホテルイリスコングレス。 〈モスクワ泊〉 #
by elfin05-2
| 2015-09-20 15:37
| 201509ロシア
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