10月18日(金) ロシア サンクトペテルブルグ散策
スライドショーでご覧ください

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06:30起床。
07:00朝食。
昨晩は寝ても寝ても朝が来なかった。
飛行機の中で寝ていたことと、時差で十分睡眠時間は取れた。

朝食会場は1階ロビーの正面にあった。
ビュッフェタイプの朝食だった。
後方にまだテーブルは空いていた。

空いているところから朝食を採る。
品数は余りない。
卵料理とパンとチーズとハムとコーンフレーク。
サラダになる野菜は少なかった。
それにスープだった。
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日本人ツアーは私たちだけだったが、中国人ツアーと一緒だった。
空席が見る見る無くなった。
と同時に食材に群がる人が増えた。
彼らはマナーが悪く、大声で電話するし、並ばずに横入りは当然。
トングを元に戻さず、持ち歩き自分専用にする。
いささか閉口した。

最近は公の場所ではだいぶ落ち着いてきたと思っていたが、一部の旅行者はまだ国際マナーができてないようだ。
かつて日本人もそうであったので余り強く言えないが、食事中は不快である。
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08:30バスでホテル出発。
【世界遺産】《サンクトペテルブルク市内終日観光》く約6時間〉
耳太郎のガイドホーンの説明があり、用意した。
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ネヴァ川河口域デカブリスト広場
ネヴァ川は、ロシア北西部のラドガ湖からカレリア地峡を経てサンクトペテルブルク市内を流れ、フィンランド湾に注ぐ全長約74kmの川である。
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横断歩道を渡りデカブリスト広場に到着。
ここには青銅の騎士が建てられている。
この都市を創建したピョートル大帝の偉業を称えたプーシキン作の叙事詩『青銅の騎士』が有名になったため、この名で呼ばれるようになった。
(by Wikipedia)
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公園を歩いて抜け、バスで聖イサク寺院に向かう。
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次の目的地はすぐに到着した。
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聖イサアク大聖堂は、ロシア、サンクトペテルブルク中心にあるロシア正教会の大聖堂である。
ドームの高さは101.5メートル。
聖イサーク大聖堂、聖イサーク寺院とも表記される。
聖イサアク大聖堂の名称は、ピョートル大帝の守護聖人、ダルマチアの聖イサアク(聖イサク・ダルマツキー)に由来する。

ロシア正教会は、正教会に属するキリスト教の教会であり、数多くある独立正教会の一つである。
(by Wikipedia)

ピョートル大帝の銅像
聖イサク寺院の前の広場に建つ銅像、大帝は聖イサク寺院の方向を見ている。
ロシアは地震が無い為、馬の銅像は後ろ足2本だけで大きな銅像を支えている
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続いてバスに乗り、お土産屋に向かった。
たくさんのマトリョーシカ人形が飾られていた。
家内もお土産に数点購入した。
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マトリョーシカ
胴体の部分で上下に分割でき、中には少し小さい人形が入っている。
これが何回か繰り返され、人形の中からまた人形が出てくる入れ子構造になっている。
1900年のパリ万国博覧会で銅メダルを受賞したのを機会に、ロシア帝国各地でいろいろなマトリョーシカ人形が作られるようになり、ロシアの民芸品、みやげ物として知られるようになった。(by Wikipedia)
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次に私たちは血の上の教会に行った。

公式名は、ハリストス復活大聖堂。
このほか、血の上の教会の名称でも知られる。
この名称は、1881年3月13日(ユリウス暦3月1日)のロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺によるもので、教会が建つ場所は、皇帝遭難の地である。
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ロシア皇帝アレクサンドル2世は、「解放皇帝」と呼ばれ、農奴解放を初めとする「大改革」を行ったが、次第に反動化していった。同時にナロードニキ運動の急進化に伴い、ナロードニキの一部はニヒリズム、テロリズムに走り、1881年3月1日ついに皇帝もテロの標的となって斃れた。行幸先から帰る皇帝の乗った御料車が運河に沿って通る中、女性革命家ソフィア・ペロフスカヤによって指揮された「人民の意志」のテロリストは皇帝を狙って手榴弾を投げた。手榴弾は2人のコサック衛兵を負傷させたが、皇帝は無事であった。しかし現場を見るために御料車を降りた皇帝の足下に別のテロリストが爆弾を転がして爆発させ、瀕死の重傷を負った皇帝は担ぎ込まれた冬宮で一時間後に崩御した。
教会の建立は、アレクサンドル2世の跡を継いだアレクサンドル3世によって先帝を弔うために行われた。(by Wikipedia)
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by elfin05-2 | 2015-09-20 16:01 | 201509ロシア
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