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【世界遺産】《©クレムリン観光》〈約2時間〉 (©武器庫、©ウスペンスキー寺院を含む) クレムリンは、ロシア連邦の首都、モスクワ市の中心を流れるモスクワ川沿いにある旧ロシア帝国の宮殿。 ソビエト連邦時代にはソ連共産党の中枢が置かれたことから、ソ連共産党の別名としても用いられた。 現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれている。 正面には赤の広場がある。 ロシア語では「クレムリ」となり、「城塞」を意味する。 中世ロシアにおいて、多くの都市は中心部にクレムリンを備えていた。 モスクワの他、ノヴゴロド、ニジニ・ノヴゴロド、カザン、アストラハンにあるものが有名である。 しかしながら、日本語内において単に「クレムリン」と言った場合は、モスクワにある宮殿を指すことが多い。 モスクワのクレムリンはそれらのなかでも最も有名かつ壮大なものである。 城壁の総延長2.25km。20の城門を備え、内部には様々な時代の様式による宮殿や大聖堂(寺院)が林立している。 モスクワ市街をさまようこと小1時間、やっとのことでクレムリンに到着した。 まず向かったのはトイレである。 もう中国人観光客は到着していてたが大混雑にはなっていなかった。 やはり道路の規制で遅れていたのか? 私たち男子トイレは比較的スムーズに利用することができた。 私が用を済ませ出るころにはもう長蛇の列だった。 特に女子は並んでいた。 これを並んだら見学はいつになるかわからない。 添乗員のアンナさんは意を決して女子を男子トイレに引率した。 まだ男子トイレには日本人利用者がいたので比較的大胆にに行けたみたいだ。 「ここは日本じゃないし、目をつぶってください。」 いい判断だった。 全員が用を済ませたころはさらに列は長く続いていた。 ここで男性の現地ガイドと合流した。 1グループに人数制限があり、私たちは2グループに分かれた。 が、ガイドは男性ガイドのほうが数段詳しく上手だったので、耳太郎は彼のチャンネルに合わせた。 武器庫(武器宮殿、アルジェイナヤ・パラータ)クレムリンの南西、アレクサンドロフスキー公園に隣接している。 設計は、クレムリン大宮殿と同じくコンスタンチン・トーンの手による。 武器庫とあるが、後に戦利品やロマノフ家の宝物を保管するようになり、1720年ピョートル大帝の勅令によって美術館となった。 コレクションには、13世紀から18世紀の武具・武器、14世紀から19世紀の織物、宮廷衣装、ロマノフ家の馬車などがある。 内部は撮影できないため写真は無い。 1547年に、イヴァン4世の、ロシアで最初のツァーリとしての戴冠式が当大聖堂で執り行われた。また1721年より、ロシア皇帝の戴冠式の舞台となってきた。ロシア正教会の首座たる府主教・総主教の着座式もここで行われ、墓もここに設けられてきた。但しピョートル1世によってモスクワ総主教庁は廃止され、総主教庁が復活するのは1917年の2月革命の後になってからである。 ウスペンスキー寺院 1917年11月21日に大聖堂では、モスクワ府主教ティーホンのモスクワ総主教着座式が執り行われた。だが彼はソ連政府からのちに弾圧を受けて致命し、のちに列聖される。無神論を標榜し、正教会をはじめとして様々な宗教に弾圧を加えたボリシェヴィキ政権がモスクワに移ると、モスクワのクレムリン内の奉神礼は一切禁止された。1918年の復活大祭の挙行が、レーニンによって唯一与えられた特別の許可であった。この復活祭の奉神礼の最後の模様は、パーヴェル・コリン(en:Pavel Korin)による作品「さらばロシア(Farewell to Rus)」の主題ともなった。大聖堂の資産や宝物は没収され、クレムリンの武器庫(美術館)やトレチャコフ美術館などに移転させられた。 〔大鐘〕 ロマノフ朝第4代のロシア皇帝、アンナ・イヴァノヴナが鐘の皇帝を作るよう命じた。 1733年にイワン・モトリンという鐘鋳造師が制作を始めた。 直接地面に型を掘った。この重さだと他に方法がなかったのだ。 装飾作業の間はずっと地面に掘った穴のなかに置かれていた。 洗礼者ヨハネ、ペトロ、キリスト、聖母、聖アンナの浮き彫りが現れてきた。 女帝アンナ・イヴァノヴナの姿、皇帝アレクセイ・ミハイロビッチ(ピョートル大帝の父)の姿も。 しかし、1737年5月20日、ほとんど作業の終わっていたのだが、鐘のまわりに作られていた木造の足場が燃える火事が起こってしまった。 鐘は温まった。装飾が解けるのではないかと心配され、鐘を冷やすことが決まり、鐘に水を注ぎ始めた。 これが大きな間違いだった。 急激な温度変化によりひびが走り、11.5トンのピースが欠け落ちてしまった。 これを直そうという試みが過去2回あったが、直しても音がおかしいのではなきかと結局あきらめてしまった。 1836年にモスクワのクレムリンに置かれ、ある種のシンボルとなる。 現在でも同じところに置かれている。 〔大砲〕 1586年にロシアの鋳造職人アンドレイ・チョーホフによって製作された。 重量約18トン、全長5.34メートル、口径890ミリメートル、外径1,200ミリメートルという大きさは榴弾砲史上最大の口径であり、ギネスブックにも記載されている。 この砲は戦時にぶどう弾を発射し、クレムリンを防衛するために造られた。 ただ、実際に使用されたことは一度もなく、当初から軍事力や軍事技術の誇示が目的であったという見方もある。 クレムリンの見学が終わった。 天気が良くて暑いぐらいだった。 ここで合流した男性ガイドとお別れだ。
by elfin05-2
| 2015-09-20 15:25
| 201509ロシア
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