毎年走っていた東京マラソンの出場権は入手困難になり、今年はズーラシアマラソン20kmにエントリーしました。 家からも近く、孫がよく遊びに来る所なので、今日も応援に来てくれました。 孫が撮った写真です。 規模は小さいのですが、気兼ねなく走れ、2.5kmの周回コースなので、応援もしやすく、飽きずに応援してくれました。 天気もよく楽しい1日を過ごしました。 #
by elfin05-2
| 2017-02-26 23:05
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by elfin05-2
| 2017-02-25 09:28
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by elfin05-2
| 2016-05-05 10:27
【燃油込み】
サンクト·ペテルブルクと モスクワ5日間 出発日2015年9月17日(木) 帰着日2015年9月21日(月) コースNO:E616SU5·E6165W ·集合日時 2015年9月17日(木曜日) 10:00 ·集合場所 成田国際空港第1旅客ターミナル4F 北ウイングGカウンタニ18~20番 阪急交通社受付カウンター 出発便 アエロフロート·ロシア航空0265便 出発時刻:12:00 少し早めに家を出た。 雨が降っていた。 トランクにゴミ袋を被せ、雨水に濡れないようにした。 朝の電車は出勤時間と重なり混んでいた。 横浜から 7:28 成田エキスプレスに乗り換え9:01 に成田に到着した。 成田エキスプレスは空いていた。 スライドショーでご覧ください 集合1時間前なのにもう10人ぐらいが並んでいた。 昨日添乗員から電話が入り、旅行についてアドバイスを受けた。 家内が電話を受けたのだが、とても親切な感じの人だったという。 名前をポポバ(?)と言ったという。 聞きなれない名前だが聞き直せないと思いそのままにした。 私たちの順番が来た。 今回の添乗員はロシア人だった。 とても流暢な日本語で、気を配った話し方は電話だけではロシア人とはわからない。 20代後半か30代前半の女性だった。 とても物静かな感じの人だった。 1組ずつ丁寧に対応してくれた。 私たちは搭乗時の説明を受け挨拶を交わし、荷物を持ってチェックインカウンターに向かう。 チェックインカウンターの女性は感じが悪かった。 無言で仕事をこなし、言葉少なに必要事項のみを説明して搭乗チケットが渡された。 再び添乗員ポポバ(?)さんの所にもどり、搭乗チケットを見せ座席を確認してもらった。 続いて私たちは円をロシア通貨ルーブルに両替した。 家内は20000円私は10000円合計30000円を両替した。 20010円で8700ルーブルだった。 レートキャッシュ1ルーブル2.30円だった。 以前(7月~8月)に比べて安値で推移していた。 不二家で朝食を済ませた。 いつも家の近くの不二家の値段より高い設定の朝食だったが、高いだけあって食材が違っておいしかった。 搭乗時間になりゲートに向かう。 これからモスクワ空港まで約10時間10分のフライトだ。 12:00 私たちはアエロフロート·ロシア航空0265便でロシアに向かった。 座席は比較的ゆったりしていた。 小柄の私たち夫婦にはあまり苦にならない。 前面パネルにはUSBジャックがあり、スマフォが充電できた。 映画はたくさんあったが日本語のものは見当たらなかった。 Ipadに用意した漫画とビデオをひたすら読んだ。 なかなか読む機会がなかったので集中できるこの時間は結構楽しめる。 食事はなかなか出てこなかった。 1時間以上たって飲み物が運ばれたが、ナッツはついてこなかった。 その後しばらくして食事が運ばれた。 2種類あったようだが、選択の余地はなかった。 お水はついてこなかった。 家内がネットで読んで知っていたので、ペットボトルを機内に持ち込んだので助かった。 ドリンクが運ばれたときにオレンジジュースとコカコーラーを注文するとコーラーは栓を開けずにくれるので食事のときに飲めてよかった。 漫画を読んで、ビデオを見て、何回か昼寝をして、何回かトイレにたちストレッチをして飛行機はモスクワに到着した。 モスクワ空港でツアーの参加者が集合した。 総勢34人のツアーだった。 20代から70代ぐらいの年齢層だった。 1人参加の人も数人居た。 私たちはモスクワからトランスファー(国内線に乗り換)してサンクトペテルブルグに向ので入国手続きをするため入国カードを発券してもらう。 トランスファーのモスクワ空港では時間があった。 長い飛行だったので、体を伸ばしたりして休んだ。 18:20 アエロフロート·ロシア航空0026便でサンクトペテルブルグに飛んだ。 機内ではサンドイッチと飲み物が出された。 19:40 サンクトペテルブルグ到着。 ターンテーブルで荷物を受け取る。 反対側で待っていた私たちの荷物がなかなか出てこないと思っていたら添乗員ポポバ(?)さんがtrapicsのタグの付いたトランクをピックアップしていた。 全員のトランクが出てきて、点呼を取ると2名足らなかった。 トイレか?迷子か?添乗員ポポバ(?)さんは探したが居なかった。 「荷物を受け取って出てしまったんでは?」と考えて一同出口に向かった。 現地ガイド イリナさんが迎えてくれた。 先に出ていたツアーの仲間も一緒に待っていた。 みんなそろってロシアの土地を踏むことができた。 バスで約8kmで ホテル ヴェデンスキーに到着した。 バスの中でパスポートを集められた。 ロシアでは滞在中ホテルにパスポートを預けることになっているらしい。 鍵を渡されトランクを引きずって部屋に入る。 21:45 添乗員ポポバ(?)の提案でコンビにに行くことになった。 アルコールは10:00までしか購入できない。 3分前に到着した。 とりあえずビールだけ買った。 その後スナックを少し買った。 部屋に帰りベットにつく。 長い1日だった。 #
by elfin05-2
| 2015-09-20 16:15
| 201509ロシア
スライドショーでご覧ください
06:30起床。 07:00朝食。 昨晩は寝ても寝ても朝が来なかった。 飛行機の中で寝ていたことと、時差で十分睡眠時間は取れた。 朝食会場は1階ロビーの正面にあった。 ビュッフェタイプの朝食だった。 後方にまだテーブルは空いていた。 空いているところから朝食を採る。 品数は余りない。 卵料理とパンとチーズとハムとコーンフレーク。 サラダになる野菜は少なかった。 それにスープだった。 日本人ツアーは私たちだけだったが、中国人ツアーと一緒だった。 空席が見る見る無くなった。 と同時に食材に群がる人が増えた。 彼らはマナーが悪く、大声で電話するし、並ばずに横入りは当然。 トングを元に戻さず、持ち歩き自分専用にする。 いささか閉口した。 最近は公の場所ではだいぶ落ち着いてきたと思っていたが、一部の旅行者はまだ国際マナーができてないようだ。 かつて日本人もそうであったので余り強く言えないが、食事中は不快である。 08:30バスでホテル出発。 【世界遺産】《サンクトペテルブルク市内終日観光》く約6時間〉 耳太郎のガイドホーンの説明があり、用意した。 ネヴァ川河口域デカブリスト広場 ネヴァ川は、ロシア北西部のラドガ湖からカレリア地峡を経てサンクトペテルブルク市内を流れ、フィンランド湾に注ぐ全長約74kmの川である。 横断歩道を渡りデカブリスト広場に到着。 ここには青銅の騎士が建てられている。 この都市を創建したピョートル大帝の偉業を称えたプーシキン作の叙事詩『青銅の騎士』が有名になったため、この名で呼ばれるようになった。 (by Wikipedia) 公園を歩いて抜け、バスで聖イサク寺院に向かう。 次の目的地はすぐに到着した。 聖イサアク大聖堂は、ロシア、サンクトペテルブルク中心にあるロシア正教会の大聖堂である。 ドームの高さは101.5メートル。 聖イサーク大聖堂、聖イサーク寺院とも表記される。 聖イサアク大聖堂の名称は、ピョートル大帝の守護聖人、ダルマチアの聖イサアク(聖イサク・ダルマツキー)に由来する。 ロシア正教会は、正教会に属するキリスト教の教会であり、数多くある独立正教会の一つである。 (by Wikipedia) ピョートル大帝の銅像 聖イサク寺院の前の広場に建つ銅像、大帝は聖イサク寺院の方向を見ている。 ロシアは地震が無い為、馬の銅像は後ろ足2本だけで大きな銅像を支えている 続いてバスに乗り、お土産屋に向かった。 たくさんのマトリョーシカ人形が飾られていた。 家内もお土産に数点購入した。 マトリョーシカ 胴体の部分で上下に分割でき、中には少し小さい人形が入っている。 これが何回か繰り返され、人形の中からまた人形が出てくる入れ子構造になっている。 1900年のパリ万国博覧会で銅メダルを受賞したのを機会に、ロシア帝国各地でいろいろなマトリョーシカ人形が作られるようになり、ロシアの民芸品、みやげ物として知られるようになった。(by Wikipedia) 次に私たちは血の上の教会に行った。 公式名は、ハリストス復活大聖堂。 このほか、血の上の教会の名称でも知られる。 この名称は、1881年3月13日(ユリウス暦3月1日)のロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺によるもので、教会が建つ場所は、皇帝遭難の地である。 ロシア皇帝アレクサンドル2世は、「解放皇帝」と呼ばれ、農奴解放を初めとする「大改革」を行ったが、次第に反動化していった。同時にナロードニキ運動の急進化に伴い、ナロードニキの一部はニヒリズム、テロリズムに走り、1881年3月1日ついに皇帝もテロの標的となって斃れた。行幸先から帰る皇帝の乗った御料車が運河に沿って通る中、女性革命家ソフィア・ペロフスカヤによって指揮された「人民の意志」のテロリストは皇帝を狙って手榴弾を投げた。手榴弾は2人のコサック衛兵を負傷させたが、皇帝は無事であった。しかし現場を見るために御料車を降りた皇帝の足下に別のテロリストが爆弾を転がして爆発させ、瀕死の重傷を負った皇帝は担ぎ込まれた冬宮で一時間後に崩御した。 教会の建立は、アレクサンドル2世の跡を継いだアレクサンドル3世によって先帝を弔うために行われた。(by Wikipedia) #
by elfin05-2
| 2015-09-20 16:01
| 201509ロシア
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